筑波研究学園都市

筑波(つくば)研究学園都市は、茨城県の南西部、筑波山の南側に位置する
世界でも有数のサイエンスシティーです。
東京の一極集中と人口過密に対応するため、国の研究・教育機関などの
首都機能を移転することとして国家プロジェクトで建設されました。
私は、その移転機関の一つに勤務し、つくば市に長く住みました。
私のつくばの思い出などを、よろしければ聞いてください。

1989年(平成元年)、私はつくば市に移転した農水省の機関に赴任しました。
同時に着任した3人の中の一人がこう言いました。
「これまで、いろいろ転勤したけれど、「村」という所はなかった。
桜村に転勤だと聞いて、とうとうかと思った。」

しかし、桜村は、87年に合併してすでにつくば市になっていました。
しかも、旧桜村は、研究学園都市の中心地区で、人口4万人以上(村では日本最大)、
村内に大学が3つあり、多くのショッピングセンターがある超ド級の「村」でした。

つくば市は、谷田部町、大穂町、豊里町、桜村が合併して誕生し、その後、
筑波町と茎崎町が合流しました。一時は元祖 筑波町とつくば市が併存していました。
(つくば市という平仮名の市名はおそらく筑波町を意識したものです)
筑波山、筑波といえば、「ガマの油」とかを含めて当地のブランド名です。
今は、「筑」を冠した新市町村名が多くあります。

遅れて合併した茎崎町には問題もありました。
茎崎町は、牛久市やJR牛久駅を介して東京圏とのつながりが強く、
つくば市と合併することに反対する住民も多かったのです。
ところが、一部地域は研究学園都市地域に指定されており、ここにある研究機関に
電話する時は、同じ学園都市でも市外局番から回さなければなりませんでした。
消防やゴミ処理、上下水道などを一体化する要望が強まったことから
つくば市への合流になりました。
もともと、研究学園都市地域はケーブルが地下に埋設されており、
電信柱がなく、TVを自由に見ることができたのですが(地域放送の
ゲートボールは面白かった)、茎崎町はどうなっていたのでしょうか。、

つくば市は、現在の中心部などが丸々人工的に作られました。
それまで水田・畑や松林だったところに大きなビルがニョキニョキ建ちました。
建設当初に私が行った時は、周りの街路樹や生け垣がまだ育っていなかったため、
ポツンポツンと研究所の大きな建物が建設中という風景が印象的でした。
今、民間研究所の人の話を聞くと、学園都市は条例の制約が厳しくて、たとえば
歩道を歩いている時に生け垣ごしに建物の上部が見えてもいけないそうです。
それだけ、景観にも気を配って国際的に通用する新しい街を志したのでしょう。

中心部には国際コンペション施設など会議場や、ホテル、デパート、映画館などの
商業施設が導入されました。
周辺の地域には公務員などのアバート団地が作られました。
私はこの団地を「松竹梅並」と呼びました。松代、竹園、梅園、並木だったからです。
なにしろ、首都圏の多くの研究者などをつくばに住まわせなければなりません。
始めは単身赴任が多かったのですが、次第に家族も一緒に住むようになりました。

すると、学校をはじめ、「新住民」と「旧住民」の対立も生じました。
学校のPTA参観の時などは、親の方が専門家だったりする場合がありますから、
先生の英語の発音が違うとか(帰国子女も多かった)、その教育内容は
間違っているとクレームを付けられることもあったそうです。
相手が大学教授やその分野の専門家では先生も苦労したことでしょう。

つくばに移住するについていくつか特典がありました。
「つくば移転手当」という加算手当があって、私もこの恩恵に預かりました。
アパートは、筑波仕様といって、ほかの地域より広い造りでした。
これが私にはアダになりました。
つくばで家具を揃えたため、ほかの所に転勤した時は家具が大きすぎて、
たとえば寝室にベッドとタンスが一緒に納まらないのです。家内の意向もあって
マンションを購入することになりました。これが転勤の度です。
人生でマンションを3回買った人がどれだけいるでしょうか。

つくば市は、85年に科学万博を開催し、国際的にも注目されました。
今は、人口22万人、うち研究者が2万人以上、外国人が7000人といわれます。
街を歩いていると確かに外国の方が多いです、招聘された研究者やその家族、
それに、中国や東南アジアの留学生が多かったと思います。

つくば市は、当初首都圏との交通アクセスが十分でありませんでした。
通勤のため、JRの荒川沖駅または牛久駅まで車で20分ほどかけて送り迎えして
もらっている人もいました。バスもあるのですが、バスは首都圏の渋滞に会うと
いつ着くかわかりません。待ち合わせ時間が決まっている時などは使えません。

2005年、つくばエクスプレスが開業しました。
東京・秋葉原とつくばを結ぶ鉄道新線です。
これができたため、つくばはすっかり様変わりしました。
つくばから東京都心まで約1時間。もはや東京圏です。
その後、つくばエクスプレス線を使ってつくばへ行ったことがありますが、
遠くから見ても、駅の周辺だけ高層マンションが建ち並んでいます。
住民と人の流れが変わっただろうと感じました。

筑波研究学園都市は、国の省庁の研究機関の壁を取り払うことにも
効果があったと思います。私が聞いた話では、農水省の研究者が果樹園など
斜面で使う新しいトラクターを提案したところ、旧運輸省の研究者から、
そんなタイヤでは駄目だ、トレッドパターンもこうした方がいいと逆提案されたそうです。
そして共同研究になり、新しいトラクターの開発につながったということです。

国策で始まった無理矢理のプロジェクトであり、東京教育大学を廃止して筑波大学を
創設するなど、私は不満もありましたが、現在は研究学園都市として十分
機能を発揮していると思います。国際的に開かれたサイエンスシティーとして発展してもらいたいと思います。 2015/04/08

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konnaii について

「こんないいオヤジ」 こと 今内祥雅(こんない よしまさ) と申します。 60歳。札幌市で妻と2人暮らし。 元公務員、現在は自営などその日暮らし。 「プロフィール」をご覧ください。
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