私のパソコン遍歴 -パソコン普及の歴史のようなもの

私は、このブログの「プロフィール」で、趣味:パソコン(自作)と紹介しています。
じゃあ、どの程度自作やってるのかい、という人がいるかもしれません。
このブログの体裁を見ていただければ、その方には、大して工夫はしていない、
設定どおりだということはおわかりだと思います。
私が現在使っているパソコンは、一応、ゲームマニアの人でも使えるクラスの
自作機ですか、本来私が必要とするものではありません。
私が今回お伝えしたいのは、パソコンの普及の歴史のようなものです。
このオヤジが、パソコンとIT時代にどう付き合ってきたか、よろしければ聞いて下さい。

私がコンピュータに初めて出会ったのは学生時代、70年代始めでした。
工学部にいた友人が「スタートレック」のゲームを遊ばせてくれました。
当時のコンピュータ室は、入室に許可が必要だった上、オペレーション室まで
夏でも寒い設定でした。コンピュータの熱のため常に冷房されていました。

「スタートレック」は面白かったです。今のように絵の画像が出ることはなく、
ブラウン管の白黒の画面に点と線が映るだけでしたが、
こんな世界があるのかと驚かされ、ゲームに熱中しました。

当時のコンピュータは、磁気記録式の大きなマスターテープをセットし、
プログラミングは穿孔式のテープを作ってやっていました。
なんとも、大がかりな施設と設備が必要でした。

それから間もないうちに、先輩がYHP(輸入品)の
プログラム電卓という機械を使っているのを見ました。
電卓のように小さいのに、自分で作ったプログラムを使うことができます、
1日、機械を借りて徹夜で使いまくりました。はまりました。

欲しいなあと思ったのですが、値段が高くて手が出ません。
そのうちに国内のメーカーから同様の安いプログラム電卓が発売されました。
たちまち飛びつきました。この機械は忘れられません。

本当に機械がつぶれるまで(キーが壊れました)使い尽くしました。
ゲームも作りましたし、仕事にも使いました。
これで、仕事の報告書のための材料を作りましたが、機械が使える容量いっばい、
1バイトの余りもないプログラムを作りました。一時は、仕事をやっているのか、
プログラムを作っているのかわからないくらいです。
それでもその徹夜の日々は本当に楽しかったです。

それからパソコン(その前はマイコンと呼ばれました)の時代が始まりました。
前から製品はあったのですが、始めのコマーシャルはNECの「パピコン」でした。
ゲーム機だと思ってばかにしていたのですが、友人のところで
遊ばせてもらったらなんと面白いではないでか。
ところが当時のパピコンは行儀が悪くて、階下の人のテレビに
画面が映ることがあったようです。

それから、NECの8801,9801の攻勢が始まります。
私はへそ曲がりで、ナンバー1に組みしたくない方なので、
FujitsuのFM7を購入しました(前機FM8のバブルメモリが魅力的だったのですが)。

FM7は私にとって初めてのパソコンで、夢中で使いました。
当時、同居していた私の妹はワードプロセッサソフトに感動して
1晩徹夜して一文を書きました。「私は今、ワードブロセッサで書いています」と。

職場でも事件がありました。
課長が、「私はこんなものを印刷する許可をしたことはない」と怒ったのです。
手書きが当たり前でしたので、これはワープロで印刷した草案です、と
理解していただくのにしばらく時間がかかりました。

今では考えられませんが、当時家庭ではデータやプログラムを
その都度、カセットテープに録音保存しなければなりませんでいた。
それを保存するにも、機械にロードするにもずいぶん時間がかかります。
そのうち、フロッピーディスクが普及してきました。5.5インチです。

ふにゃふにゃしているのでフロッピーといいましたが、やがて3.5インチの
ハードケースになりました。当時はまだ8インチのディスクがあって、
大型コンピュータにも使われ、パソコンとデータ交換する手段でしたので、
この規格だけはなくならないだろうと言われました。
この8インチディスクすら、今や、記念品として残されているかどうかです。
今はハードディスクが主記憶装置で、メモリ、SSD、クラウドの時代です。

カセットテープからハードディスクまでわずか10数年です!
技術革新とその普及の速さは目を見張るものがあります。
その都度ユーザーは新しい製品を買うことを強いられました。
私の場合、5.5インチフロッピー駆動機をを購入し、3.5インチを買わされ、
その後ハードディスクにやっと落ち着きました。これも何度か更新しています。
便利で使いやすく、機能の良いものが発売されるのですからしようがありませんが、
ユーザーの経費的には全くたまったもんじゃありません。

この間に私は仕事上の実用的なソフトを作ったことがあります。
9801用のベーシック言語で作ったもので、これは本当に仕事に使えました。
職場みんなで活用しました。

それから10年ほどして昔の職場を訪ねたら、当時の仲間がいて、
「リエちゃん、相変わらずキレイだね」、「今内さんこそ、相変わらず
口がお上手ね」、などとムダ口をききながら職場に行くと、
昔ながらの9801があるではないですか。なんでこんな昔の機種があるの、と
聞くと、今内さんの作ったソフトが使えるのはこれだけなのよ、と言われました。
私の作ったソフトがまだ現役でが使われていたのです。
うれしかったことこの上ありませんでした。でも、何で新しい機種に
移植するヤツがいなかったんだ?

そのうち、パソコン通信なるものが登場しました。
当初は、電話回線を使ってデータをやりとりするものでした。
現在のインターネットのような、広がりも速度もありません。
ほとんどが会員制のようなサイトで、セキュリティの心配もありませんでした。

この一つののサイトに、我が社の広報を掲載したいと思いました。
一般公開の行事があるのでどうぞおいで下さい、と載せたいと思ったのです。
すると、決裁書を作ってトップまで揚げろ、そのサイトの情報を参考に着けろ、
公表する効果を書け、と上司が言うのです。どうにもうるさくてしようがありません。
個人の電話回線でやっていることなので翌年からもう止めました。

そんなこともあって、パソコン通信からしばらく疎遠になりました。
そのうちインターネットが普及し始めました。しかし、私はインターネットを
いぶかる気持ちが強かったです。
そんなに自分たちの情報をオープンにしていいのかいと。

今では、SNSなど情報垂れ流しですが、本当に個人の情報がどれほど
守られるでしょうか。人を中傷する記事など、本来は発言する際に、
聞く人の気持ちや影響を考えるべきではないでしょうか。
顔が見ないから自分勝手なことを言いっぱなしでいい、これはそろそろ
インターネットの社会で自粛あるいは追放されるべきだと思います。

インターネットは文字どおり、さらに国際的に普及するでしょう。
日本人一人ひとりの発言、内容がそれにふさわしいものであって欲しいと
思います。2015/02/19

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konnaii について

「こんないいオヤジ」 こと 今内祥雅(こんない よしまさ) と申します。 60歳。札幌市で妻と2人暮らし。 元公務員、現在は自営などその日暮らし。 「プロフィール」をご覧ください。
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