北大・恵迪寮について

先日、「北海道開拓の村」に行ってきました。
この施設は、札幌市野幌(のっぽろ)森林公園にあり、
北海道開拓当時の古い建物を移築して展示している野外博物館です。
今の時期は、馬ソリで園内を案内するオブションが行われています(夏季は
鉄道馬車になります)。外国人観光客が個人で訪れる人気の施設です。
展示の中に旧・北大恵迪(けいてき)寮があり、久しぶりに訪れました。
恵迪寮についてご紹介します。

恵迪寮は、1876年、北海道大学の前身である札幌農学校の開校に伴って
その寄宿舎(学生寮)として開設されたのが始まりです。
何度か移築・改修され、現在の恵迪寮は、鉄筋コンクリート5階建て、
女子学生も寄宿する施設になっています。
「北海道開拓の村」にあるのは、その前の木造2階建ての一部を
移築復元したものです(当時は男子のみ、教養部1,2年生だけの寮でした)。

恵迪寮には独特の雰囲気があって、バンカラや自由な居住まいがありました。
自治寮として、完全に学生が運営する寮でした。
現在の新しい建物になる時には、大学当局や文部省の意向との間で、
学生自治について葛藤があったといいます。
しかし、私たち北大生及びOBにとって、恵迪寮は一つの誇り・シンボルでした。

私も地方出身者ですから恵迪寮に入ることを考えたことがあります。
なにしろ、寮費やかかる経費が安いのです。ただし、
4人部屋で個人の自由が少なく、恵迪寮に入ったら4年で大学を卒業できる者は
いないという噂がありました。

部屋ごとに特徴があって、麻雀部屋だったり酒飲み部屋だったりします(中には
文学 部屋もありましたが)。
その部屋の住人は雑音で寝ることもできず、しまいに染まってしまいます。
インスタントコーヒーの粉がないと勝手に隣の人のを使います。
「人の物は俺の物、俺の物はみんなの物」と言っていました。

前の恵迪寮には食堂がありました。
日ごとのメニューが決まっていて、寮生が朝食・夕食の希望を記入して食事していました。
賄いさんの給料や食材の調達まで学生が運営していました。
夜12時を過ぎると夕食の権利を放棄したと見なされます。それを見越して
食事を待っている学生が何人かずついました。私も何回かお世話になりました。

恵迪寮はとにかく汚かったです。現在でもそうらしいですが、
廊下も部屋の中も乱雑に物が散らばっていて、いつかたづけたんだろうという
具合です。廊下に「左折可」の道路標識や、ケンタッキーフライドチキンの
おじさんの像があったのを見たことがあります。
酔狂の泥棒でしょうが、重たいものをどうやって持ってきたのでしょうか。

壁は落書きだらけです。自分の思いを書き留めたものが多く、
野心あふれるものや恋情を綴ったものもありました。
私は「大正14年」と署名された落書きを見ました。
ただ、伝統に則ってか、黒の筆書きのものがほとんどで、
カラースプレーや色の付いた落書きはありませんでした。

北大の歌として有名な「都ぞ弥生」は、校歌ではなく、恵迪寮の寮歌です。
恵迪寮では年に1つずつ寮歌を公表しています。
寮歌の前口上に続いて、「明治45年度寮歌、横山芳介君作歌・赤木顕次君作曲、
都ぞ弥生、アインス、ツバイ、ドライ」と始めます。
♪ 都ぞ弥生の雲紫に 花の香漂う宴遊(うたげ)の筵(むしろ)
尽きせぬ奢(おごり)に濃き紅や その春暮ては移ろう色の ~
寮生でなくても北大ではよく歌われています。
かつては、今よりゆっくり歌われたので、5番まである歌を歌いながら
寮からやっと目的地の飲み屋街「すすきの」に着いたそうです。

恵迪寮で有名なものに「ジャンプ大会」があります。
毎年2月、赤フンや趣向をこらした寮生たちが2階の窓から雪山に飛び降ります。
飛距離、飛型点、仮装などが採点されて1位が決まります。
毎年北海道ではニュースになりますが、
最近は規模が小さくなったように思います。
昔はあんなに雪山が高くなかったです。今年などは落ちる距離はほんのわずか。
ジャンプ大会はもっと大胆に人目を引くようにやってほしいです。

もう一つ忘れてならないのに「対面式」があります。
夏、北大と小樽商科大学との応援団の合戦です。昨年13年ぶりに復活しました。
札幌と小樽を交互に会場にして挑戦、応戦が繰り広げられます。
学生時代に札幌大通りで行われたのを見ましたが、
大時代的なバンカラで感動しました。明治時代風のボロな衣装をまとい、
一本歯の下駄を履き(下記コメントあり)、一歩ごとにドーンと太鼓を打ちながら数十人が行進します。
その当日は非常に暑くて会場に着くまでに皆大汗をかいていました。
かたや挑戦状を読み上げ、こなた応戦状を披露します。その時代的な演出のこと。

恵迪寮に泊めてもらったことが何回かあります。ところが、
冬季は、暖房のスチームが朝6時ころからカンカンカンカンうるさく鳴って(ウォーターハンマー現象)、慣れない私は寝ていられませんでした。

恵迪寮が火災になったことがあります。
私の友人がそばの部屋に住んでいて、直接の火災ではありませんでしたが、
消防車の放水で本などがすべてダメになりました。
その火事の時に、恵迪寮にいた私の先輩は、電話に走るのではなく、
カメラを持って飛び出して記録しました。
それを新聞社に投稿して地方紙の一面に掲載されました。
あとで「チャンスだと思った」と発言したことが、
カメラマンとして立派だと評価する人と非難する人に分かれました。

恵迪の名は、中国の四書五経の「迪(みち)に恵(したが)えば吉」 に由来する
と言われます。恵迪寮が今後とも学生たちに吉でありますように。 17/03/28

konnaii について

「こんないいオヤジ」 こと 今内祥雅(こんない よしまさ) と申します。 60歳。札幌市で妻と2人暮らし。 元公務員、現在は自営などその日暮らし。 「プロフィール」をご覧ください。
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北大・恵迪寮について への1件のフィードバック

  1. 法螺得 のコメント:

    私は、北大応援団の出身ですが、文中に一本歯の高下駄というのは、誤りです。板前さんが履くような下駄ではなく、歯は、2枚でした。高さ30センチくらいの団長下駄が名物でした。

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